迷列車で行こう#27 パンタグラフは身延線のために モハ114 2600番台
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- Опубликовано: 14 июл 2024
- 元々私鉄だとこういうことも起きてしまうのですね。
0:00 OP
0:32 身延線とは?
0:56 身延線の新性能化の問題
3:24 モハ114-2600番台の概要
4:58 身延線での運用(国鉄時代)
6:08 JR東海継承後の運用
6:50 モハ114-2600番台の珍事件
7:46 新車の導入
8:44 2600番台の運用の消滅
10:30 2600番台の解体開始
11:56 2600番台の全廃
12:59 後継者に低屋根化が行われなかった理由
14:30 今も現存しているかつての同僚
Suikotei - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 4.0, commons.wikimedia.org/w/index...
sphl - 投稿者自身による著作物, CC 表示-継承 3.0, commons.wikimedia.org/w/index...
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HOSTで巡査部長(硫黄島観賞), CC 表示 3.0, commons.wikimedia.org/w/index...
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OPの曲はR3 Music Boxさん~癒しのオルゴールサウンド~さんの鉄道唱歌/ボニージャックスを使用しています。
身延線のトンネルに合わせた車両限界がJR東海の車両限界(シングルパンダ化も進んだ理由の一つ)のスタンダードになりました。
後継車の211系5600番台は低屋根化されました。
屋根は弄ってない🙄💬
パンタグラフの折り畳み高さが低くなっただけ🙄🙄🙄
@@hanshin_1001 小断面隧道用ひし形パンタグラフのC-PS24A形を搭載しても尚足りず211系列で唯一低屋根構造となった区分です。シングルアームパンタグラフのC-PS27搭載後解決を見て、現在では3連の5600番台ではなく6000番台2連が主に入線するようになりました。
結局どっち
@@tydeentetuota5514 211系5600番台は低屋根化されています。
たしか6000番代も低屋根構造になってませんでしたっけ?
25年の車生はJR西日本では考えられない出来事 山陽の115系はこれとは対照的に長生きなのが皮肉
トンネル高の限界に合わせた101系の低パンタ仕様の800番台を彷彿しますね😃
PS23と低屋根の合わせワザだった身延線用2000番台は 動画でもあったように 4両編成はクモハ+モハ+背中合わせに連結したクハ2両で これは車掌さんが無人駅で集札を行なう際に円滑に出来るよう 編成の真ん中のクハの運転台も ドアの開け閉め等車掌台として使えるよう配慮されたものでした。
冷房化された後の 本来AU75が載せられる筈だった 屋根中央のクーラー用台座の塞ぎ板が空しかった。
東日本の冷房準備車はAU75載せた車両が多かったけど(例外あり)東海はインバータークーラーに拘っていましたね。
クハの一部は後に新潟地区に送られて0番台と4輌編成組んだけど、冷房化でもAU75使われずAU712が用いられた。
身延線は狭小トンネルがあるからパンタグラフ高さ制限があるんですよね。サンライズが走れるのはすごいと思った。
サンライズは身延とか行かんやろ!😜
静岡の115系2000番台は13編成いましたが、B2、B9、B13編成は東海道線用(最末期はB2編成からB3編成に差し替え)
だったので身延·御殿場線は実質10編成で回してて、313系N編成が10編成なのはこのため。
115系末期の身延線甲府口はB4編成とB12編成しか走ってなかったイメージがある。懐かしい。
静岡運転所には東京乗り入れ用のモハ112-2600番台も居ましたね。
短編成化の際に片側のクハがよそへ散り散りになりましたね。
新潟地区に転属したものは、足周りを含め耐寒耐雪改修され1000番台同等になりました。
茶色塗装の115系も2日間しか運用されなかったが模型化したのは凄い
この時期は地方路線向けの新型車が作られていた時期(105系、119系etc)
もう少し早いor遅い時代に新性能化されたとなれば、三鷹、沼津、小山の800番台転配で済まされていたのか など、想像すると楽しい。
バカ製造費が高く、回生ブレーキが全く意味を持たなかった1両1億円する通勤型電車の量産車もお忘れなくw
多分それは無理ですね。長野ですら115系1000番台登場でようやく旧国置き換えが出来たぐらいです。1977年までは首都圏・近畿都市圏での旧国置き換えが最優先事項でしたので、そもそも地方線区向けに新性能電車を送る事はしなかったです。中央東線ですら旧国が消えたのが115系300番台投入の1976年をもって終了した程なので、ローカル向け新性能電車はどう考えたって1980年代入らなければ作れなかったはず。史実ですら国鉄の経営状況から見て早すぎるぐらいですし、下手すれば平成時代まで旧国が生き延びていたなんてこともなくないんじゃないでしょうか。
良く思えば、身延線の115系2000番代は、岡山地区で活躍出来た気がします。
JR西日本も買えば良かった気がします。
岡山地区からいなくなったのは、冬季の伯備線で使えないという最大の欠点抱えていたことですかね。300番台や113系0'番台・2000番台などがいるので、シートピッチ拡大だけしていても雪対策が300番台並みの2000番台は返って使い勝手が悪かったのです。確かに広島に国鉄型車両が現役の頃に、550番台とか初期の車両を置き換える名目で、2000番台買ってもよかった気はしますけどね。
ああ、それでかぁ⁉️ これはためになった。
身延線ではないが道床掘り下げトンネルクリアしている所もあります。😮
115系にシングルアームパンタを積んだ豊田区の300番台や1000番台なら身延線を通れたのでしょうか、また国鉄時代に減車で新潟に移籍した2100番台のクハともども後の冷房化ではAU75ではなく分散式クーラーが積まれたのも不思議な車両でした。
ラボら😊😊😊
せ❤😅
1000番台は通れたでしょうが、まず1000番台の投入に関して身延線ではあまり効果が見られないという点があるので、導入されたかは疑問ですね。1000番台は直流電化路線の雪がどうしようもない所以外は、基本的にいない車両でした。
@@asokai2346
耐雪耐寒性能強化型でしたが後年(JR発足後)は静岡にも松本→神領と流れてきた1000番台が転入したり、岡山から転出した京阪神快速(まあ、湖西線に入線し機能が活きますが)の6000番台や下関に転出し瀬戸内色になった1000番台も出現し当初目的とは異なる使途に回った車両も相当数ありました。
身延線というと、あの桜木町以前に架線のパンタスパークが原因で車両火災を引き起こした路線として有名ですな
原因は狭小トンネルを通過後に架線の間隔が広がる区間で、パンタの動きが間に合わずにスパークを引き起こしたことでした
しかし、この一件はあまりクローズアップされず、桜木町前に80系電車が試験中に火災事故を起こした時も注目されませんでした
こうした事例があっても対策を取らなかった(取れなかった?)国鉄により、最悪の事故が発生してしまった
原因が全然違うのでこの話は参考にならない。
厳密に言うと、「パンタグラフは身延線のために」ではなく『パンタグラフ「取り付け部」は身延線のために』だが😉
今思うと身延線並みにパンタグラフ折り畳み高さ規制がある予讃線のあるJR四国に譲渡しても良かったのでは?
中央東線や身延線の低屋根車は予讃線の鳥越トンネルは入線不可です。(トンネル口径がさらに小さい為)
東日本の三鷹区所属の169(5)系が末期に6編成所属していたが、団臨で身延線に入る運用が可能性があったので、2編成がシングルアームに置き換えられた。
1:23 ”鉄道省が買収された”ではなく、”鉄道省が買収した”又は”鉄道省に買収された”では?
そうですね。全く気が付きませんでした。
そして今その211系も数を減らしつつある
ここら辺を考慮してか・どうか?は別として、JR東海の在来車は中部山岳地帯の運用を考慮して、他のJR各社の車両より屋根が低いですね!
JR西日本岡山地区に譲渡されたら今日もまだ走っていたかも
201系と同い年なのに201系よりも先に消された2600番台。
廃車開始の時期はほぼ一緒です。
201系量産車の廃車第一号は2006年10月18日、中央快速線用の豊田区T6編成(ソースは国電総研)。
@@taka480それでも勿体ないですね。新潟には、それより10年以上古い550番台や0番台のモハやクハの生き残りがいましたしね。宇都宮線でも、115系後期車(1977~)の製造の車両がいたのに、2001年に廃車にしていたりと、もっと置き換えるべき車両がいるだろと突っ込みたくなるのに無惨にも廃車にしましたし、なんか当時の東日本はやってることが理解できない部分がありました。0番台を置き換えるというのは筋が通ってますけどね。
あのー、静岡電車区と言うのは開設当初から今日まで存在しません。開設当初は静岡運転所、その後は静岡車両区です。
確かに800番台は沼津、そして静岡に配置されたが、身延線は入線しなかったはずです。800番台が2600番台のように2cm足りなかったからでしょうね。
800番代でも身延線に入線してましたよ。
モハ114-800が含まれる編成も確か運用に入ってましたよ
当時は165系の急行富士川が低屋根のモハ164-800が含まれる編成で運転してましたし
身延線用の800番台編成も2編成ありました
@@nisemarimo14
>身延線用の800番台編成
御殿場線と共通運用。
@@taka480
1986年に身延線用に800番台を組んだC編成が2本居て御殿場線用のN編成とは分けられていました。